室町幕府の成立

室町幕府の成立記事一覧

反旗を翻した足利尊氏

室町時代は大まかに三つに分けることができます。一つ目は、南北朝の対立から室町幕府が出来上がるまでの時期。これは、14世紀中期と後期で、1336年に建武式目が制定されるところから、三代将軍足利義満までの時期を指します。二つ目は、室町幕府が揺れ動く時期。15世紀前期のことで、四代将軍足利義持から七代将軍...

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観応の擾乱での二頭政治の亀裂

足利尊氏が室町幕府の一番はじめの将軍です。最初は、尊氏は弟の足利直義と一緒に政務をとっていました。つまり、二頭政治というものです。しかし、二人が仲良くやっていたのははじめだけで、そのうち対立が生まれてきます。それが表面化したのが1350年で、観応の擾乱とよばれています。最終的なきっかけとなったのは、...

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足利義満による南北朝合体について

南北朝合体、明との国交を樹立、守護の勢力削減の三つの事柄を、三代将軍である足利義満はやってのけます。まず最初に、1329年の南北朝合体についてです。当初は、両者は特に仲が悪かったわけではなく、南朝は吉野に、北朝は京に存在していました。南朝のほうに天皇を象徴するものである三種の神器があったのですが、後...

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足利義満による日明貿易について

中国で明が建国されたのは1368年のことです。久しぶりに漢民族による国家ができたので、明は古くからある中華思想的なものを復活させたいと思うようになります。そこで、近くの国々に対して協力を求めます。日本はそれをOKし、国交を1401年に樹立、その翌年の1402年に「日本国王源道義」という名前と、「大統...

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上杉禅秀の乱とは何か?

1394年に将軍職を息子の足利義持に譲った足利義満ですが、実際に権力を持っていたのは義満のほうでした。しかし、その義満も1408年に死去し、義持だけの時代がきましたが、その頃から少しずつ室町幕府の体制に揺らぎがみられるようになります。まず最初に、義持は1411年に明との国交を断絶します。理由は朝貢と...

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足利義教の恐怖政治について

1428年に、四代将軍である義持が亡くなりますが、六代将軍に就いたのが足利義教でした。彼は三代・義満の子ですが、出家して延暦寺天台座主という地位に就いていました。が、ある事情で、還俗して将軍にならなければいけなくなりました。その事情とは、五代の義量は若くして父親より先に亡くなってしまい、しばらく将軍...

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足利義教への反乱である永享の乱

そのような恐怖政治を続けていては、当然反発がおこってきます。1438年から39年にかけて、それが顕著にあらわれだしました。これを永享の乱といいます。これは、鎌倉公方と関東管領の対立がふたたび起こってしまったということになります。関東管領は上杉憲実ですが、鎌倉公方のほうは同じく足利持氏でした。持氏は将...

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