摂関政治

摂関政治記事一覧

国司の徴税請負人としての役割

この頃の政治とは、律令体制のもとでどれだけ税を徴収できるかということが最も重要視されているので、現代のそれとは違います。平安前期に桓武天皇がつくった勘解由使とは、国司が税を不当に自分のものにしているのを取り締まるためのものでした。この時代はどこの国も同じことですが、政治は一切国民の方に目を向けられる...

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安和の変による源高明の左遷

村上天皇の次に即位したのは冷泉天皇で、このときの関白には、藤原忠平の息子の実頼が就任しました。ここで勃発するのが安和の変です。母方の身分は低かったのですが、醍醐天皇の子どもに、源高明という人がいました。彼は臣籍降下して源氏の姓を名乗っていますが、村上天皇の子どもの為平親王に、源高明の娘が嫁いでいると...

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摂関政治の終わりと前九年の役・後三年の役

道長の四人の娘の中で特に有名なのが彰子です。彼女は一条天皇の中宮(皇后よりもあとから入内した天皇の妃)で、同じく一条のもとに嫁いでいた藤原道隆の娘・定子とはあまり仲がよくありませんでした。というのも、藤原道隆のほうが長男で、道長は次男でしたので、本来はその娘である定子は主流派だったのですが、一族の権...

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国風文化の特徴と浄土教の流行

この頃中国では、907年にあれだけ栄えていた唐が滅亡し、混乱が続いていました。そのあと建国されたのが宋ですが、中国北部では、926年に渤海が遼(契丹)によって滅びました。この渤海は、奈良時代に日本とも関わりがありました。また、朝鮮半島では、新羅が935年に滅び、高麗が統一をおこないました。国風文化と...

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末法思想と空也の浄土教

宗教観は、平安時代の前半と後半で大きく違いますが、もうひとつ知っておかなければいけないことがあります。仏教には、その頃の人々の心に深く刺さった考え方があり、それを末法といいます。お釈迦様がこの世を去ってから最初の1000年のあいだを正法の時代といい、釈迦の教えがきちんと伝わる時代のことを指します。そ...

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浄土教の阿弥陀仏と阿弥陀堂

浄土教はその考えのみならず、絵画や建築、彫刻などの分野でも、とても良い作品を生み出す原動力となっています。とくに、各地に阿弥陀堂が建てられ、ここには阿弥陀仏が安置されました。なかでも平等院鳳凰堂は、代表的な阿弥陀堂で、藤原頼通によって宇治に建立されました。これは末法元年といわれた翌年の1053年に建...

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かな文字の文学の発達。「竹取物語」「伊勢物語」「源氏物語」「枕草子」など

国風文化で一番に注目すべきところは文芸作品で、日本独自のかな文字の発達も大きく貢献しています。飛鳥・奈良時代の万葉仮名は、音だけ漢字からとって、形を変えずに表記したものですが、この時代からは、漢字の一部をとった片かなや、漢字を略したかたちから造形されたつくられた平がなが使われるようになりました。初期...

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