「親魏倭王」という称号を得た卑弥呼

「親魏倭王」という称号を得た卑弥呼

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239年に魏に使いを送った卑弥呼は「親魏倭王」という魏に近しい日本の王という称号を与えられました。その時に授けられた物の中で、特に注目されるのが金印紫綬と銅鏡百枚です。なぜ銅製の鏡が当時は大切で価値のあるものとして扱われたのでしょうか?

 

「親魏倭王」という称号を得た卑弥呼。金印紫綬などを授かる

 

鏡が人の姿を映し出すことが物理的に証明できる現代とは違い、当時の人には自分の顔が映る鏡がとても不思議で魔力のようなものを感じていたのかもしれません。この時の魏の王 明帝は、卑弥呼を臣下として非常に大切にしていたので魔力を授けるという意味で銅鏡を与えたのでしょう。

 

もう一つは、紫色の綬がついた金のハンコ・・・金印紫綬です。金のハンコというのはハンコの中でも最上級です。綬は色で位が示されていて、中国の国王は赤、ちなみに日本では紫が最上級です。臣下の最高位の側近クラスは金印朱綬。次は重要な大臣クラスの金印紫綬です。当時の日本にも大臣クラスの印綬を与えられるほどの王がいたということですね。

 

卑弥呼の死後、男王を立てたが混乱した邪馬台国は、壱与という卑弥呼の宗女(宗教上の後継者)を女王にして平和を取り戻したと「魏志倭人伝」に記されています。やはり当時は、魔力や呪術を操れる宗教的職能者である巫女の力が国を治めるのに必要だったようです。





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