廃藩置県と秩禄について

廃藩置県と秩禄について

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江戸幕府がなくなれば、武士も当然なくなるのですが、それに対して不平や反論を唱える人はいなかったのでしょうか?実は、これについてはちゃんとそれなりの補償をしたので、あまり不満は生まれなかったのです。

 

廃藩置県と秩禄について

 

たとえば、藩をやめて県を置き、大名を藩から切り離すのが廃藩置県ですが、このときに藩から出て行く大名からは不満が出るかもしれません。そこで、明治新政府はこんな補償をしました。

 

その頃はどこの藩も大きな債務を抱えていたのですが、その借金を政府がすべて肩がわりしたのです。借金していた相手はほとんどが豪商だったので、肩代わりとはいっても、最後は彼らが泣くはめになるのですが、そこはさすがに商売人なので、彼らはただでは泣きません。これが「政商」というものにのちのちつながっていきます。

 

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ちなみに、明治新政府ではいろいろとお金が必要だったので、1868年に三井・小野・鴻池などの豪商から御用金という名目で三百万両を集めました。現代のお金に換算すると、およそ三億円くらいになります。

 

そして、大名たちには、公家と一緒に華族というものに変わって、東京で暮らしてもらったのです。つまり、東京での貴族としての暮らしが保障されるうえに、田舎で借金に苦しめられていた生活からも開放されるのです。なので、ほぼ文句はどこからも出ませんでした。

 

 

では、士族となった一般の武士たちはどうなったのでしょうか。大名と彼らには、秩禄というものが与えられました。これは、家禄賞典禄から成り立っていて、家禄は失業手当に相当するもので、賞典禄は恩給のようなもので、明治維新でどれだけ活躍したかによって支給額は変わってきました。これで、旧武士たちの収入は心配がなくなるわけで、彼らはそんなに働く必要もなく、そういった意味ではあまり不平を唱える人はいませんでした。

 

しかし、明治政府の財政の三〇パーセントを占めていたのが、この秩禄でした。ただでやっていましたが、本当はすごい額なのです。それはあまりにももったいない、彼らにも何か仕事を与えるべきだ、ということで出てきたのが征韓論でした。これは韓国を攻める仕事で、その仕事に対して報酬を与えるというわけなので、無駄にはならない、という論法でした。





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