大伴氏、物部氏、蘇我氏の三大豪族

大伴氏、物部氏、蘇我氏の三大豪族について

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飛鳥時代は、4つに分けて覚えると分かりやすいと思います。6世紀が第一期。大伴氏が磐井の乱により失脚、物部氏・蘇我氏が仏教をめぐり敵対し、その結果、崇仏派の蘇我氏が勝利しました。7世紀前期が第二期で、蘇我氏と聖徳太子が代表する時代。7世紀中期が第三期で、大化の改新から壬申の乱が起こるまでのことを指します。そして、壬申の乱が終わり平城遷都以前の皇親政治を第四期といいます。

 

大伴氏、物部氏、蘇我氏の三大豪族について

 

4期それぞれ天皇が3名ずつだったので、計十二人もこの時代に天皇がいたことになります。全員の名前を一気に記憶するのは骨が折れるので、3名ずつ期ごとに覚えていきましょう。「継体・欽明・崇峻」が第一期の天皇の名ですが、これらについていた豪族が「大伴・物部・蘇我」です。前期と中期と後期の3つに分けることができる6世紀ですが、前期に継体天皇、中期に欽明天皇、そして後期が用明天皇。この3名がメインとなって国を治めていました。

 

さらにこの頃、大伴、物部、蘇我という豪族が3つ現れてそれぞれ重要な地位に就いていました。いずれも大和地方の強い豪族です。大伴と物部は兵力を武器に朝廷に奉仕した豪族で、大連という地位に就き、大王のお伴をしていました。大伴氏という名を見ても分かるように、「大」は大王、そして「伴」はお伴。物部氏も「もののふ」と呼べるので、軍事に関連する豪族ということが分かると思います。彼らは単なる付き添いというわけではなく、桃太郎で登場する犬、猿、雉のように親分の為に戦う近衛兵だったので、軍事の豪族といわれています。

 

一方蘇我は大臣という蔵の管理(財務省のような仕事)をする職に就いていました。こちらもとても重要で、斎蔵、内蔵、大蔵の三蔵を運営・管理し、国家の財政を支えていました。宮廷の祭事が斎蔵、大王家の財物が内蔵、政府関係の蔵が大蔵で、この三蔵を管理していたのが蘇我氏だったので、経済の豪族といわれています。





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