昌泰の変により菅原道真が左遷される

昌泰の変により菅原道真が左遷される

このエントリーをはてなブックマークに追加  

宇多天皇の子どもには、醍醐天皇や斉世親王がいて、菅原道真の娘が斉世親王のところに嫁いでいました。醍醐天皇は宇多天皇から「寛平御遺誡」を託されました。また、重用された菅原道真にも、「醍醐天皇をよろしく頼む」と伝えてこの世を去りました。

 

昌泰の変により菅原道真が左遷される

 

なので醍醐天皇の為を思い、菅原道真は政治的なアドバイスを彼にいろいろしていくのですが、醍醐天皇はだんだんそれがうざったらしくなっていきます。菅原道真はすでに五十過ぎで、醍醐天皇はまだ二十歳そこそこでしたので、「口うるさいおっちゃん」という感じだったのでしょう。

 

それだけならよかったのですが、醍醐天皇と同年代だった藤原基経の子どもの時平が、天皇にこんなことを吹き込みます。「道真があなたにすごく厳しいのは、あなたのことを追い出して、自分の娘を嫁がせた斉世親王を天皇にしたいからそうしているんだよ」

 

この言葉を信じた醍醐天皇は、右大臣だった道真を太宰権師に降格させて、九州の大宰府にとばしてしまいます。これを昌泰の変といいます。

 

 

このあと特に時平が出世したとか、そういったことはありませんでした。醍醐天皇は宇多天皇から託された「寛平御遺誡」にのっとって自らの政治をおこなっていきます。時平が若くして亡くなってしまったというのも理由かもしれませんが、醍醐天皇の親政は道真が左遷されたあとも変わらず続きました。





このエントリーをはてなブックマークに追加