院政の始まり

院政の始まり記事一覧

後三条天皇による院政

後三条天皇は、後冷泉天皇のあとに即位しました。この人の母親の禎子内親王は三条天皇と妍子のあいだに生まれた子で、父親は朱雀天皇なので、藤原氏との血のつながりは濃かったのです。重要なのは、三条天皇が母方の父親だということで、つまり後三条天皇は、三条院の家で育てられることになるのです。後三条天皇からみれば...

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後三条天皇による延久の荘園整理令

摂関家を抑えるために政治改革に燃えていた後三条天皇ですが、その中でも最も注目すべき政策は、1069年に発した延久の荘園整理令です。これは、規準に合わない荘園をやめさせる法令で、同じく親政をした醍醐天皇のときにも発令されています。それまでに何度か整理令は出されてはいるのですが、なかなかうまく結果は出て...

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院政を始めた人物である白河天皇

この頃は百何十年と続いた摂関政治体制のおかげで、天皇のサポートには必ずといっていいほど関白がつきました。一旦それが当たり前になってしまうと、なかなかなくすことはできないのです。後三条天皇の子である白河天皇が次の天皇として即位しましたが、例にもれず補佐役として関白がつきました。天皇がいくら自分だけでが...

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院政の肝である知行国制とは?

院政の注目すべきところは知行国制というものです。どういったものかというと、武家や上級貴族、有力な寺社に、一国の支配権を与えることで、利益を上乗せできるようにさせる制度です。知行権を与えられた者のことを知行国主とよぶようになります。さらに知行国主は、国司を命ずる権利も与えられていて、これは朝廷がもって...

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白河、鳥羽、後白河上皇による仏教信仰

白河上皇のあと、鳥羽、後白河上皇も引き続き院政体制をとりつづけました。本当は院は仏教と何ら関係がないのですが、この三人の上皇がみな仏教を信仰していて、全員が出家して法皇になっています。ちなみに、道鏡のときの法王とは別物で、太上法皇を略して法皇といっています。有力な仏教勢力(たとえば南都の東大寺や興福...

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