織田信長が本能寺の変で倒される

織田信長が本能寺の変で倒される

このエントリーをはてなブックマークに追加  

当時の大名のトップは誰であったかというと、武田勝頼です。武将の数、軍事力、編成力、どこを見ても他の追従を許しません。そこで、1575年の長篠の戦いで、武田氏の騎馬隊と戦争することになります。

 

織田信長が本能寺の変で倒される

 

なぜ武田氏が強かったかというと、騎馬隊によるところが大きかったのです。馬で戦うのはなかなか難しいものですから、いい武将でなければ戦争で勝つことはできません。武田武士団といわれるほど、武田氏にはそれがそろっていました。

 

対して織田側は、あきらかに騎馬戦の能力では武田に劣っていたので、普通にあたっていては勝てません。そこで、鉄砲隊を組織するのに身分の低い足軽を使い、それをうまく使って勝利します。いままでとまるで違う戦法をつかって勝利をつかんだのが長篠の戦いなのです。

 

その翌年の1576年、信長は安土城を建設します。これは世間に、「自分が武田を破った。なので自分こそが全国の大名のトップなのだ」ということを知らしめるために造った建物です。権力の象徴である城でしたので、戦いの為ではありませんでした。権力を誇示するために豪華な城を造ったわけですから、なんだか5世紀の古墳時代に、権力者が競って大きな古墳を造ったのと似ていますね。

 

 

そしてついに、信長は、天目山の戦いにて武田氏を滅ぼします。1582年のことでした。これでほぼ天下統一事業への道のりが達成されたといっても過言ではありませんでした。しかし、完成を目前とした同年6月、京都の本能寺で、信長は配下の明智光秀に攻められて死んでしまいます。これがあの有名な本能寺の変ですね。





このエントリーをはてなブックマークに追加