徳川綱吉による生類憐れみの令

徳川綱吉による生類憐れみの令

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徳川綱吉といえば、「犬公方」なんて陰口をたたかれるくらい、1685年に公布した「生類憐みの令」が有名ですね。「動物を愛護し、生命を大事にしましょう」というスローガンとしては動物愛護の精神にあふれていて素敵なのですが、少々いきすぎていた部分があったようです。野良犬を追い払っただけで牢屋入りでした。

 

徳川綱吉による生類憐れみの令

 

これには、綱吉の母親の桂昌院が深く関係していたので、学問奨励、教育の一環ではありませんでした。 もともと京都の八百屋の娘だった桂昌院ですが、いろいろなことがあり、三代・家光の側室となります。彼女が生んだ綱吉が五代将軍になったので、権力をもつようになるのですが、いわゆる極端な教育ママで、将軍といえどもこの母親には逆らうことができませんでした。

 

桂昌院のおかげで一族のみんなが出世し、順風満帆かと思われたのですが、なかなか綱吉には子どもができず、だんだん焦りはじめます。跡継ぎがいなければいい思いもできなくなるので、母親とその一族の命運がかかっていました。

 

そこで、どうにかして息子に子どもができるようにと、ありとあらゆる手を尽くすわけです。そのなかに生類憐みの令もあったわけなのですが、なぜそうなったかというと、桂昌院がお坊さんに加持祈祷をお願いしたところ、「犬の霊が綱吉にとりついていて、祟っているのをどうにかしなければならない」と言われたためでした。

 

そのほかにも、綱吉は護寺院や護国寺を建てたり、寛永寺や増上寺を改築したり、ものすごくお金をたくさん使っていろいろなことをしました。確かに、仏教は殺生を嫌います。桂昌院は自分から出家して尼になっているほど、仏教を信奉していたので、それにすがったのかもしれません。





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