鎌倉幕府の成立

鎌倉幕府の成立記事一覧

鎌倉幕府を開いた人である源頼朝の計画

鎌倉時代とは、1185年から1331年までの約150年間のことを指します。鎌倉幕府が成立したのは、1185年に守護・地頭が設置されてからのことで、源頼朝が征夷大将軍になった1192年ではありません。この時代は大きく四つに分けることができて、一つ目が、1185年から1199年に頼朝が亡くなるまでの12...

≫続きを読む

なぜ源頼朝は、征夷大将軍の地位を求めたのか?

奥州藤原氏が1189年に滅び、源頼朝は翌年1190年に右近衛大将になります。しかし、頼朝が欲しいのは右近衛大将の地位ではなく、征夷大将軍の位でした。右近衛大将は何事においても朝廷を無視して動くわけにはいきません。朝廷の近くを護衛する役職ですから、当たり前といえば当たり前です。対して征夷大将軍は、平安...

≫続きを読む

源頼朝が死んだあとの北条時政の台頭

鎌倉幕府の初代の将軍である源頼朝が1199年にこの世を去りますが、二代目にその子の頼家が就任します。しかし、頼家がまだ若かったというのもありますが、頼朝自身のカリスマ性がすごく、頼朝でないと言うことを聞かないという人もいました。そこで、十三人の有力な御家人たちで意見をまとめ、それによって政策を実行し...

≫続きを読む

源実朝の暗殺と承久の乱について

北条時政のあとに執権に就いたのは、その子の義時でした。比企能員の乱の10年後、1213年の和田合戦で、義時はその頃侍所のトップを担っていた和田義盛を倒します。その結果、義時は政所別当のほかに、侍所の別当にも就任することになります。そのあと、義時は頼家の子・公暁を洗脳しはじめます。結果、公暁はこう考え...

≫続きを読む

北条泰時による御成敗式目の制定

北条義時の次に執権に就任したのは泰時です。1224年のことで、彼は三代目でした。その翌年の1225年に、初代別当である大江広元と北条政子がこの世を去りました。幕府での人間関係の基本は、まず将軍・源頼朝という主人がいて、その配下である御家人が周りをかためている、という構図でした。頼朝と御家人が主従関係...

≫続きを読む

摂家将軍と皇族将軍とは?

三代将軍である実朝が暗殺されたあと、将軍はどうなったのでしょう?実朝の後継将軍として、頼朝の遠い親戚である九条家から藤原頼経を迎え入れようとしたことが、承久の乱のきっかけとなりました。戦いに勝ったあとは、後見人として北条政子が政治をしていましたが、政子が死んだあとは、藤原頼経が1226年に第四代将軍...

≫続きを読む