第一回帝国議会の議員選挙について

第一回帝国議会の議員選挙について

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内閣制度が1885年にはじまったときの総理大臣は伊藤博文〔長州〕で、これが初代です。二代目の黒田清隆〔薩摩〕が就任していたときには憲法ができ、三代目の山県有朋〔長〕だったときには第一回帝国議会が開かれ、四代目には松方正義〔薩〕が就任していて、薩摩と長州が交互に総理大臣になっていることがわかります。

 

第一回帝国議会の議員選挙について

 

第一回帝国会議がおこなわれる前に第一回総選挙がありましたが、定数三百のうち、藩閥政府に反対していた立憲自由党と立憲改進党とで、百七十一議席を獲得し、過半数を超えました。これらの民権運動の流れを汲む勢力を民党といい、政府に近い考え方の大成会などを吏党といいます。つまり、今でいう与野党逆転のような状況だったわけです。

 

この第一回議会では、予算案が一番重要視され、民党側が訴えたのは、政費節減と民力休養でした。軍拡をはじめとした政府の無駄遣いをやめろ、というのが政費節減で、土地の税金を引き下げて国民の負担を減らせ、というのが民力休養です。

 

それに対して当時の山県内閣は、「軍事拡張が必要なのは、利益線を確保するためである」と主張しました。この「利益線」というのは、朝鮮半島における権益のことをいっています。





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