盧溝橋事件から日中戦争へ

盧溝橋事件から日中戦争へ

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林内閣は特に何もしないまま短い期間で終了し、元貴族院議長であった近衛文麿が次の総理大臣に就任しました。そして、この第一次近衛内閣の時代に、1937年7月、北京郊外の蘆溝橋で日本と中国の軍隊が衝突するという盧溝橋事件が起こり、それがきっかけで日中戦争が勃発しました。この事件は、日本軍のほうが仕掛けたものです。

 

盧溝橋事件から日中戦争へ

 

前に述べたように、1935年に満州と中国との国境沿いに非武装地帯・冀東地区に防共自治政府を設置していて、これは共産党を阻止するための非武装地帯のことですが、だんだん日本軍は、この非武装地帯を侵略していこうと思うようになりました。

 

それを一番先に察したのが張学良で、1936年に蒋介石が共産党討伐に西安に訪れていたところを、張がとらえて監禁し、八項目の要求を突きつけてこう言います(西安事件)。「あなたは非武装地帯をつくったから安心しているかもしれないが、日本はその非武装地帯の破壊を目論んでいるようだ」

 

この説得に応じた蒋介石は、「いまは共産党と争っている場合ではない。一緒に日本軍の南下を防ぐべきだ」と思い、国民政府と共産党が手を組むことで、第二次国共合作がはじまりました。

 

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「防共」を大義名分に

 

ところで、日本はどうして日中戦争に入っていったのでしょう。日本が戦争をはじめた大義名分は「防共」で、要するにコミンテルン(国際共産党)対策です。国家の成立を認めないというのが共産主義の基本なので、つまり国家を破壊することが共産党の最終目的となります。

 

別の言い方をすると、日本や西洋の国々にとって、共産主義に対しての共通の認識は、「国家を破壊するテロリスト集団」というものでした。別にソ連を崩壊させようというわけではなく、共産主義を世界からなくしていかないと国家テロが起こり、世界の平和が侵されるという意味です。

 

そういったなか、共産党と国民政府が西安事件をきっかけにして接近しはじめたわけです。なので、「中国政府がテロリストと結託しようとしている。なんとか止めないと大変なことになる」という認識が、日本が日中戦争をおこなう大きなきっかけとなったわけです。もし中国政府が共産党と手を組んで日本を攻めてきたら、大変な脅威になりますからね。





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