海舶互市新例により金銀の海外流出を防ぐ

海舶互市新例により金銀の海外流出を防ぐ

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結局財政難の原因となってしまった元禄小判の発行をやめた新井白石は、金の量をもとに戻した正徳小判をつくります。しかし、金の量が増えたり減ったりごちゃごちゃしたので、市場は混乱してしまいました。

 

海舶互市新例により金銀の海外流出を防ぐ

 

海舶互市新例を1715年に出したのですが、こちらも重要です。その頃、鎖国をしていた日本ですが、長崎で清とオランダだけは貿易を続けていました。とはいえ、ほとんど輸入ばかりでしたので、日本は対価を支払っているだけです。その結果、日本の金や銀がどんどん海外に出ていってしまい、特に銀は、国内にあった四分の三が流出してしまいました。

 

そこで白石は、清とオランダの船に貿易額の制限をもうけて、金、銀の流出を防ぐために、海舶互市新例を制定しました。国際標準価格からみれば、日本の金や銀は、三分の一から四分の一程度の値段でした。

 

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ということは、百万円の金を日本で買って、それを外国で売れば、四百万円でいえば、単純に三百万円の儲けです。これはおいしいということで、日本人が欲しがりそうな商品を持ち込んでは、金や銀を持っていっていたわけです。

 

その結果、日本そのものがだんだん貧乏になっていたので、それをどうにかするために、貿易に制限をかけたのです。これが新井白石の正徳の治で、3年ほどで六代将軍・家宣が死んで三歳の家継が七代将軍に就いたあとも、間部詮房とともに政治改革に奮闘します。

 

しかし、将軍が幼かったため、権力基盤がしっかりしていません。頑張って途中まですすめて、結果が出そうなところで、今度は家継が七歳で死んでしまい、残念ながら正徳の治は達成されないまま終わってしまいました。





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