江戸時代の国学・蘭学の始まりについて

国学、蘭学の始まり

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ここで、江戸時代後期の文化についておさらいしておきましょう。19世紀初頭から半ばまでは、庶民文化が、江戸を中心に隆盛しました。文化、文政という年号からとって、この時代の文化のことを、化政文化といいますが、ここでは範囲をもう少し広げて見てみましょう。

 

江戸時代の国学・蘭学の始まりについて

 

学問・教育の分野では、朱子学以外にも、国学、蘭学などの幅広い学問が発達しました。国学は、荷田春満によって創始されましたが、「万葉集」を研究したことで知られる賀茂真淵、「古事記」を研究して「古事記伝」などを書いた本居宣長、和漢のとても多い量の書物を分類・編集して「群書類従」を残した塙保己一、神道を集大成した平田篤胤たちによって受け継がれました。

 

徳川吉宗が、漢訳洋書の輸入の制限をゆるめ、オランダ語を青木昆陽たちに学ばせたことから、西洋の学問も日本に入ってきて、研究されるようになりました。初期蘭学の代表的学者には、解剖に関係するオランダ語の本を訳して「解体新書」を書いた前野良沢杉田玄白がいます。

 

色々な学問を広める場となった教育機関も発達しており、藩学、郷学は武士の学校、寺子屋は庶民のためのものです。武士や学者、町人などによって民間の私塾なども各地で開かれました。

 

緒方洪庵が大阪に創設した適々斎塾(適塾)には、大村益次郎、福沢諭吉らが学びました。吉田松陰が幕末に長州の萩で開いた松下村塾からは、のちに討幕・維新を推し進めた人たちがたくさん出ていて、その中には高杉晋作、伊藤博文、山形有朋らがいます。

 

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町人文化が花開く

 

次に、芸術の分野を見ていきましょう。元々元禄時代に登場していた浮世絵版画ですが、この頃、鈴木春信によって本格的な多色刷りが登場し、ますます一般の人に知られるようになります。

 

のちのち世界的にも、高い評価を受ける作品が多数つくられたのもこの頃で、美人画の喜多川歌麿、役者絵の東洲斎写楽、風景画の葛飾北斎歌川広重などがそうです。浮世絵のほかには、円山応挙が写生をきわめ、文人画では池大雅、与謝蕪村(俳人)、渡辺崋山(蘭学者)などがいます。西洋画も蘭学の影響で描かれるようになり、そのはしりでは、平賀源内や司馬江漢がいます。

 

 

特に町人のあいだに、いろいろな文芸作品が浸透していったのもこの時期で、印刷技術の発達や、貸本屋の普及などが理由にあげられます。寛政の改革のときの遊里を題材にした洒落本や、為政者を風刺した黄表紙などは弾圧を受けましたが、改革以降は、洒落本から発展した滑稽本というものが隆盛します。これは庶民の生活をおもしろおかしく描いた小説で、挿絵入りです。

 

代表作品には、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」、式亭三馬の「浮世風呂」「浮世床」などがあげられます。ほかには、与謝蕪村、小林一茶らが俳諧で活躍しました。柄井川柳の川柳、大田南畝の狂歌なども、よく詠まれました。





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