自由民権運動

自由民権運動記事一覧

不平士族の反乱とは?

遺欧使節団が帰国したあとの1873年に、秩禄奉還の法が出ます。どういったものかというと、希望する者には、秩禄支給をやめるかわりに、まとまった一時金を渡すというものでした。たとえば、なにか商売をはじめたいと思っている人にとっては、毎年百万円ずつもらうより、まとめて一千万円もらったほうがいいかもしれませ...

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愛国社再興と国会期成同盟について

「国民皆兵」のスローガンのもと、1873年に徴兵令が発令されました。これは、士族・平民の男子で、満二十歳以上の人に3年間の兵役を課すというものです。1877年に起こった西南戦争の結果、西郷隆盛は敗北してしまうわけですが、西郷は戦争に関しては天才的なものをもっていて、戦いの神様である彼が負けるなどと思...

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開拓使官有物払下げ事件とは?

政府に対する批判もそろそろ尽きるころかと思われましたが、ここで大隈重信という人物が出てきます。その頃の大隈重信はいわゆる財務大臣のようなもので、大蔵卿というポストに就いていました。この人が、政府に対する反発心をさらに向上させるようなことをやってしまいます。そのころの財政状況は、どんな感じだったのでし...

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明治十四年の政変とは?

1881年に、この騒動を後始末するために、事実上の罷免ということにはなりますが、大隈重信は下野します。大隈とそのブレーンが政界からごっそりいなくなったこの出来事を、明治十四年の政変とよびます。本当は黒田清隆こそが罷免されるべきなのですが、実際は黒田はこのあと出世しています。その理由は簡単で、任命権は...

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松方財政と日本銀行設立について

大隈重信が政界をやめたあと、薩摩の松方正義が大蔵卿に就任して、デフレ政策(松方デフレ)をおこなっていきます。まず、インフレ対策として、西南戦争のときにばらまきすぎた価値の無いお金を回収するために、政府の収入を増やすために増税をおこないます。それと同時に、軍事費以外ですが、緊縮財政を徹底させます。せっ...

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松方デフレと激化事件について

松方がおこなった政策の結果、物価が下がります。物価が下がると、家計が助かる人々は大助かりだと思いがちですが、そうでもありません。その頃の物価の判断基準は米価だったのですが、この米価が三分の一くらいに下がってしまっていました。江戸時代のような年貢とは違い、明治時代の税金は、1873年に地租改正があった...

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