関東大震災

関東大震災記事一覧

原敬の本格的政党内閣の施策とは?

人気がなくなって政府の支持が落ちたりすると、内閣総理大臣を決めている元老たちは、とたんに政党や国民に媚びるようなことをしだします。次の総理大臣に元老が選んだのは、立憲政友会の党首であった原敬でした。立憲政友会が与党だったので、総理大臣もそこから出そう、というわけでした。今までの総理大臣はみんな華族や...

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戦後恐慌と原敬首相の暗殺について

戦争中は、大戦景気に沸いていた日本国内ですが、ヨーロッパは総力戦をやっていたので、アジア市場に商品が輸入されなくなりました。そこに注目した日本が、アジア市場で商品をどんどん売りさばいて、その結果、景気が良くなったのです。とくに造船業、鉄鋼業、海運業は急成長を果たして、日本は世界第三位の海運国にのし上...

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パリ講和会議でのベルサイユ条約について

パリ講和会議が1919年に開かれ、戦勝国の一員として、日本からも西園寺公望、牧野伸顕が出席しました。ここで結ばれた条約がヴェルサイユ条約で、この会議で定められた体制がヴェルサイユ体制です。この会議では、民族自決が唱えられました。これはアメリカのウィルソン大統領が発言したもので、ある民族がある民族を支...

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ワシントン会議とロンドン海軍軍縮会議について

原敬内閣のあとは、高橋是清内閣が登場してきました。その時代に、1921年から翌年にかけて、アメリカのハーディング大統領が提唱したワシントン会議が開かれました。日本全権として、幣原喜重郎、加藤友三郎たちが参加しました。そこで、ワシントン体制という国際協調の体制が決められました。ワシントン会議では、三つ...

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関東大震災と震災恐慌について

高橋是清内閣の次は、1922年に登場した加藤友三郎内閣です。この頃は1920年の戦後恐慌からこちら、不況が当たり前のようになっていた時代でした。1923年8月に加藤が現役のまま急に死んでしまい、その後を任された山本権兵衛が第二次山本内閣を発足しようとした矢先、関東大震災が起こります。9月1日、首都圏...

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護憲三派による第二次護憲運動について

山本内閣のあとを継いだのが、1924年1月発足の清浦奎吾内閣です。彼は、貴族院と官僚の勢力を味方につけて、政党から一人も入閣させない超然内閣を組織しました。これに対して、憲政会(加藤高明)、立憲政友会(高橋是清)、革新倶楽部(犬養毅)の三党が、第二次護憲運動をはじめ、打倒内閣を目指しました。この三党...

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