日中戦争

日中戦争記事一覧

満州国建国と日本の国際連盟脱退について

関東軍の思い通りに満州事変は進み、1932年に満州国建国となりました。名目上は清朝最後の皇帝・溥儀を執政とした独立国でしたが、実際は、関東軍が支援したことでつくられ、関東軍が支配している政権でした。犬養首相が暗殺されたあと、海軍大将の斉藤実が首相となり、斉藤内閣が成立しました。海軍の中でも穏健派だっ...

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塘沽停戦協定とは?

中華民国とのあいだで1933年5月に塘沽停戦協定をむすんだことで、満州事変はとりあえず一段落つきました。満州の権益は日本が持つかわりに、それ以外の権益については日本は手を出さないということで、中国政府を納得させて、一旦停戦となるわけですが、関東軍はそのまま満州に居つづけ、日本人の役人による官吏・経営...

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陸軍統制派と陸軍皇道派の対立について

犬養首相が殺されたあとは、軍部内閣(斉藤実内閣、岡田啓介内閣)となった日本は、満州国承認、国際連盟脱退、ワシントン体制からも脱却していき、孤立していきます。一方、朝鮮へは日窒コンツェルン、満州へは日産コンツェルンが進出することで、景気自体はどんどん良くなっていきました。現代でも同じことがいえますが、...

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二・二六事件の真相について

二・二六事件があった背景には、斉藤、岡田という海軍でしかも穏健派の内閣が、二代続いたという事情もありました。これには陸軍が当然反発します。たとえば、陸軍省は、「国防の本義と其強化の提唱」という題名がついた小冊子(陸軍パンフレット)を配り、積極的に政治に携わってくるようになりました。天皇機関説が問題に...

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日独防共協定から日独伊三国防共協定へ

二・二六事件が起こったことで岡田啓介内閣が辞職したあとは、意外にも文官が登場します。外交官出身であった広田弘毅は、1936年3月に組閣しました。この人は、終戦後にA級戦犯に認定されて死刑になりましたが、軍人以外ではたった一人のみでした。この人がどういったことをしたかというと、軍部大臣現役武官制を復活...

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盧溝橋事件から日中戦争へ

林内閣は特に何もしないまま短い期間で終了し、元貴族院議長であった近衛文麿が次の総理大臣に就任しました。そして、この第一次近衛内閣の時代に、1937年7月、北京郊外の蘆溝橋で日本と中国の軍隊が衝突するという盧溝橋事件が起こり、それがきっかけで日中戦争が勃発しました。この事件は、日本軍のほうが仕掛けたも...

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