軍事力の時代になった邪馬台国

邪馬台国は軍事の時代へ

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日本の古墳時代にあたるのが、3世紀後半から7世紀頃となります。古墳時代の前期である4世紀前半頃は、引き続き宗教的な影響力を持った人が邪馬台国を治めていました。しかし、中期である4世紀末から5世紀頃に作られた古墳のサイズや副葬品を見ると、だんだんと武力で人を統率していくようになっていったのが分かります。

 

軍事力の時代になった邪馬台国

 

宗教的、呪術的な品である銅鏡や勾玉が遺体と共に埋めらていたのが4世紀の古墳。武具、馬具などの軍事的な品が副葬品として残っているのが5世紀の古墳です。同時に、古墳もずいぶん大きくなっています。世界のなかで最も大きい古墳の一つとされているものに大仙陵古墳、誉田御廟山古墳(どちらも大阪府)などがあり、中期を代表する古墳として有名です。

 

ところで、なぜ武力的に強い人のほうが権力を持つようになったのでしょう。それは、だんだん稲作についてのノウハウを人々が身につけていったからです。気象や天候で豊作かそうでないかが左右されますし、宗教的な力を持った人の言うことを聞かなくても習慣としてできるようになります。卑弥呼のようなシャーマニズム的なものを信じるよりも、隣の土地を攻めて自分の領土にしたり、力で一族を統治したほうが確実だったからです。





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