鈴木商店の倒産と台湾銀行の休業について

鈴木商店の倒産と台湾銀行の休業について

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全国に広まった金融恐慌は、特殊銀行(特定の政策目的のために設立された銀行)である台湾銀行まで巻き込み、休業せざるを得なくなりました。第一次世界大戦で大もうけをした成金の一つに、台湾で砂糖やバナナなどを取り扱っていた鈴木商店という商社がありました。台湾銀行は、そこに莫大なお金(いまのお金に換算すると何十兆円に相当する)を融資していました。

 

鈴木商店の倒産と台湾銀行の休業について

 

その鈴木商店が金融恐慌のおかげで倒産してしまい、台湾銀行は大打撃を受けて、休業に追い込まれます。休業は倒産ではなく、窓口を開けていると破綻する可能性があるということで、営業時間内に窓口を閉めてしまうことを休業といいます。

 

 

これに対して、台湾銀行救済緊急勅令案を若槻内閣が出しました。緊急勅令とはなにかというと、国会の議会を飛ばして、緊急に出される天皇命令のことをいいます。具体的な内容としては、日本銀行の特別貸し出しによって台湾銀行を救おうとしたのですが、この案に枢密院が反対して、廃案にされてしまいます。

 

枢密院とは、もともと憲法の草案の審議をするための機関で、天皇の諮問機関でした。明治憲法がつくられたあとは、天皇の顧問役として存在していました。その枢密院が台湾銀行救済緊急勅令案に反対したため、若槻内閣は恐慌を抑えることができなくなってしまい、総辞職に追い込まれます。

 

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モラトリアムとは?

 

憲政会の若槻の次に登場するのは、立憲政友会の田中義一内閣です。田中内閣は大蔵大臣に高橋是清を置いて恐慌対策に取り組み、緊急勅令として、モラトリアム(支払猶予令)をおこないました。

 

銀行の破綻の原因となった取り付け騒ぎを起こさないために、預金者がお金をおろせないようにしました。ずっというわけにはいかないので、このときは三週間という期限を設けました。そして、その三週間が経過するまえに、各銀行に日本銀行から特別融資(非常貸し出し)をおこない、経営を改善させました。

 

鈴木商店の倒産と台湾銀行の休業について

 

しかし、銀行に融資したとしても、再開したときにまた経営状態が悪くなってつぶれてしまっては意味がないので、ここで銀行法の改正に乗り出します。これは、資本金規定などを見直して、中小銀行を設立できなくするという法律です。中小の銀行は倒産しやすいので、大銀行と合併しないかぎり、銀行業務を続けてはいけないとしました。

 

その結果、日本の銀行は、三井、三菱、住友、安田、第一の五大銀行にまとまっていきました。これにより、このあとのファシズムにいたるまでに、金融資本の独占が財閥によって起きてきます。とりあえず、高橋蔵相のおこなった政策によって、金融恐慌はなんとか終わりを迎えました。





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