張作霖爆殺事件の真相とは?

張作霖爆殺事件の真相とは?

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南京の蒋介石以外にも、北京や上海の勢力も北伐軍に加わってきたため、張作霖はだんだん押されてきます。ここで関東軍(関東州〔旅順・大連〕と満州に留まっていた日本陸軍の部隊)の参謀であった河本大作は、このまま放っておくと張作霖が蒋介石の方に寝返ってしまうのではないかと考えを巡らせはじめます。

 

張作霖爆殺事件の真相とは?

 

そんなことになるようなら、むしろ張作霖を守るより抹殺してしまい、自分たちの力で直接満州を支配したほうがいいのではないかと思いはじめたのです。そこで、張作霖が乗っていた列車を、奉天で爆破して張作霖もろとも殺してしまうという事件を起こしました。これが、1928年6月に起こった張作霖爆殺事件です。

 

しかし、張作霖一人を殺すのは簡単にできても、満州全体を支配するのは決して簡単なことではありません。結局、満州支配は失敗に終わってしまいます。それだけでなく、張作霖の息子の張学良が、日本を信じていた父親が殺されてしまったということで親日派をやめ、蒋介石側につきます。それもあって、蒋介石の国民政府による中国全土の統一が達成されてしまいました。

 

ちなみに、満州支配のために張作霖を殺したのは、関東軍が勝手に判断して実行したことでした。それが最悪の事態を招いてしまったため、とてもまともに報告できないということで、「満州某重大事件」という言い方で伝えられました。

 

しかも、この事件の処理のこともあり、田中義一は昭和天皇からの信用を失ってしまい、1929年7月に総理大臣を辞めるはめになりました。





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