天武天皇の正体とは?

天武天皇の正体とは?

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天武天皇・持統天皇・文武天皇の三代天皇が飛鳥時代第四期です。実質的には、ここより奈良時代が終わるまでは天武系の時代といえるでしょう。天武天皇は皇親政治・・・すなわち皇族中心の体制である政治を目標としました。そこで、皇族が中心の新しい身分制度が確立されました。

 

天武天皇の正体とは?皇親政治について解説

 

684年に制定された八色の姓です。八色とは、真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置の八種類の身分制度のことで、天皇家との血筋の遠い近いで身分が定められるというものです。それまでの氏姓制度では、有力な豪族には、天皇家との血のつながりが無くても高い地位を与えていました。

 

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しかし、天智天皇のような独裁政治はうまくいかないことを教訓として生かしながら、家柄や血縁、親しいか親しくないかの差で身分を与えるように改め、豪族の力をセーブしたのです。天武天皇は、天智天皇の近江令にかえて、飛鳥浄御原令を策定しました。

 

また、完成は奈良時代に入ってからでしたが、「古事記」「日本書記」という国史の編纂にもとりかかりました。「古事記」は太安万侶が稗田阿礼の暗記していた「帝紀」「旧辞」をもとに取り上げ、記録したもので、「日本書記」は、中国にならった本格的な歴史書で、舎人親王が中心となってまとめたものです。

 

これら国史の編纂は自らの政権の正当性と政権の強化をはかるためのものでした。当時の歌謡には「大君は神にしませば」という表現が多く使われました。これは「大王」が天武天皇を指している、天皇を神と崇める歌なのです。

 

 

この時代は、以下の三つワンセットで推進していったのです。

 

  1. 天皇との親疎で身分制度をつくる。
  2. 天皇を神格化する。
  3. 天皇自らの正当性を証明するための歴史書を編纂する。




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