平安時代の密教による現世利益

平安時代の密教による現世利益

このエントリーをはてなブックマークに追加  

ここで、平安時代初期の文化と、その少し先の時代について見ていきましょう。この頃は新しいかたちの仏教、つまり密教とよばれるものがとてもはやった時期です。嵯峨天皇とそのあとの清和天皇の代の年号を合わせて、弘仁・貞観文化とよばれています。

 

平安時代の密教による現世利益

 

奈良時代の反省から、平安時代のはじめごろは、政府は奈良時代の寺院を移設することを禁じました。平城遷都のときに有力な寺院が藤原京から移ってきたのですが、それを断固として阻止したのです。

 

ただ、もし仏教を全面的に禁止してしまったら、人々は政府を批判しはじめます。仏教は人々の心に強く根付いていましたから、そういう意味で為政者にとって仏教は必要なものだったのです。

 

そこで、朝廷は中国に遣唐使や最澄などの学問僧を送り込み、新しい仏教を取り入れてくるよう命じます。その結果、同じ時期に海を渡った空海は真言宗を、最澄は天台宗を日本に持ち帰ります。基本的に、平安初期の仏教は密教とよばれるもので、加持祈祷が基本ですが、こちらは簡単にいえば秘密の呪文のようなもので、奈良時代の仏教では取り入れてなかった分野です。

 

奈良時代は教理仏教でしたが、この頃は現世利益を求める宗教に変わっていきます。いわゆる、秘密の呪文を唱えれば、「お金持ちになれます」「もっと出世ができます」「この世で幸せになれます」といったものです。





このエントリーをはてなブックマークに追加