かな文字の文学の発達

かな文字の文学の発達

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国風文化で一番に注目すべきところは文芸作品で、日本独自のかな文字の発達も大きく貢献しています。飛鳥・奈良時代の万葉仮名は、音だけ漢字からとって、形を変えずに表記したものですが、この時代からは、漢字の一部をとった片かなや、漢字を略したかたちから造形されたつくられた平がなが使われるようになりました。

 

かな文字の文学の発達。「竹取物語」「伊勢物語」「源氏物語」「枕草子」など

 

初期の文芸作品として、かぐや姫を題材とした伝奇物語として有名な「竹取物語」や、在原業平の恋愛をテーマにした「伊勢物語」がありますが、作者はわかっていません。摂関時代には、「源氏物語」を紫式部が、随筆の「枕草子」を清少納言が書きました。

 

この頃の特徴の一つとして、日記が流行りました。かな文字ができたことで、その日起こったことをより簡単に書きとめておくことができるようになったからと考えられています。紀貫之の「土佐日記」は、日記の形式で書かれた最初の文学作品は、女性が書いたという設定で書かれていますが、ほかにも「蜻蛉日記」(藤原道綱の母)、「更級日記」(菅原孝標の女)、「紫式部日記」(紫式部)などは、全て女性が書いたものです。

 

醍醐天皇の命によって、905年に日本初の勅撰和歌集「古今和歌集」が編集されましたが、紀貫之が編纂の中心的役割を担っていて、みずからも素晴らしい和歌をたくさん残しました。この和歌集には、庶民の歌はほとんど登場しないので、「万葉集」(勅撰ではない)とはまた違う視点でつくられたものでした。





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