三国干渉における臥薪嘗胆

臥薪嘗胆とは?

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三国干渉が具体的にどういったものだったかというと、『三千万両と引き換えに、遼東半島を清に返還しろ』というものでした。その頃の日本のお金にしてみると、四千五百万円といったところです。

 

三国干渉における臥薪嘗胆

 

結局、日本は要求をのむしかなく、遼東半島を清に返還しました。ヨーロッパの列強に迫られては、仕方なくもありましたが、とても悔しく思った日本の心境は「臥薪嘗胆」という言葉で表現されました。これは、薪の上で寝て痛い思いをしても、肝を嘗めて苦さを味わったとしても、忘れたくないほどの悔しさだったという意味です。

 

この出来事は、ロシアに対する反感を強く日本国民に植え付けることとなりました。そして、日本の軍事拡張をうながすことになるのです。しかも、1898年に、ロシアはその遼東半島を清から租借するのです。租借というのは、期限を設けて占領することです。

 

清がロシアの租借に応じた理由は、ロシアを後ろ盾として味方につけておけば、日本がよけいな手出しをしてこないだろうと思ったからで、三国干渉後に、清のほうからロシアに近づいていったという背景がありました。

 

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閔妃暗殺事件について

 

日清戦争が起きた後、朝鮮では親日派の大院君が実権を握っていたのですが、三国干渉のあとは、ロシアの力を借りた閔妃派が権力を奪い返しました。

 

三国干渉における臥薪嘗胆

 

しかしそのあと、宮中に武装組織が乱入し、1895年10月に閔妃は暗殺されてしまいます(閔妃殺害事件、乙未事変)。これは、当時の駐韓公使だった三浦梧楼らが、親露的になった閔妃のことを良く思わなかったため、暗殺を指示して起こした事件でした。

 

しかし、この暗殺事件がきっかけとなり、朝鮮はいままで以上にロシアへ接近しだし、1897年に大韓帝国(韓国)を宣言しました。李王朝のままでしたが、清からの独立をはっきりさせたのです。





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