反旗を翻した足利尊氏

反旗を翻した足利尊氏

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室町時代は大まかに三つに分けることができます。一つ目は、南北朝の対立から室町幕府が出来上がるまでの時期。これは、14世紀中期と後期で、1336年に建武式目が制定されるところから、三代将軍足利義満までの時期を指します。

 

反旗を翻した足利尊氏

 

二つ目は、室町幕府が揺れ動く時期。15世紀前期のことで、四代将軍足利義持から七代将軍足利義勝までの時期です。三つ目は、15世紀後期から16世紀前期までを指し、応仁の乱から戦国時代へと移る時期です。

 

建武政権への不満がどんどんたまっていき、その気持ちは、鎌倉幕府の再興をのぞむようになります。新政開始の翌年、1335年には、北条高時の子である時行が反乱を起こし、一時的に鎌倉を占領するようになります。これは、中先代の乱とよばれています。

 

はじめ、足利尊氏は新政権から命じられてこの乱を鎮めることに従っていましたが、その後謀反を起こします。尊氏は朝廷から討伐軍を差し向けられ、一度九州に逃げ込みます。しかし、すぐさま逆襲し、湊川の戦いで楠木正成を1336年に倒すと、その勢いが衰えないうちに京を制圧してしまいました。

 

 

完全に楠木正成に頼りきっていた後醍醐天皇は、その楠木がいなくなってしまってどうにもできなくなり、吉野(いまの奈良県)に逃亡してしまいます。京では、後醍醐天皇がいなくなってしまったため、持明院統の光明天皇が即位し、1338年、征夷大将軍に足利尊氏を任命します。関東には出向かない征夷大将軍でしたので、武士の頭領としてのポストに意味合いが変化したということです。

 

室町幕府の成立と、このあと60年にもわたって繰り広げられる南北朝の対立のはじまりでした。「神皇正統記」「梅松論」「太平記」などの歴史書や、軍記物語には、南北朝の対立の様子が描かれています。





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