「懐風藻」と「万葉集」について

「懐風藻」と「万葉集」について

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奈良時代には、中央に大学が、地方の国ごとに国学というものがつくられました。貴族や有力な豪族の子どもが大学で、おもに郡司の子どもが国学で、律令国家について学び、推進するための人材として世に送り出されました。

 

「懐風藻」と「万葉集」について

 

この時代の文芸として重要なものには、漢詩集の「懐風藻」と日本で最も古いとされている和歌集の「万葉集」があげられます。「万葉集」は、その後の日本語における文字表現法について大きな影響を与えました。内容は万葉仮名で書かれていて、日本語の音をそのまま漢字で表現したものでした。「万葉集」には貴族の歌だけでなく、庶民の歌も数多く収録されていて、東歌、防人の歌などがそうです。

 

柿本人麻呂、額田王などがおもな歌人で、山上億良の「貧窮問答歌」が作品としてはよく知られています。その頃の人々の生活スタイルを知る上で重要な資料となった「風土記」は、日本全国の支配を円滑におこなうために、各地の状況をよく知っておこうと、中央政府が地方に編纂させた書物です。

 

常陸、播磨、越後、肥前などの風土記は、さまざまな文献で引用され、現在に伝えられていますが、完璧な状態で残っているのは「出雲国風土記」のみとなっています。





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