高橋財政による金輸出再禁止について

高橋財政による金輸出再禁止について

このエントリーをはてなブックマークに追加  

若槻内閣の次は犬養毅内閣でしたが、日本経済の混乱の原因となった金解禁をやめて、1931年12月に金輸出再禁止をおこないます。このとき大蔵大臣を務めていたのは高橋是清でした。

 

高橋財政による金輸出再禁止について

 

つまり、金本位制を完全に廃止して、管理通貨制度を導入するということです。金と交換できない紙幣(不換紙幣)をもとにした通貨制度で、状況をみて、それに応じて通貨を発行できるようになります。

 

その結果、もともと百円=約四十九ドルだったところが、二、三十ドルほどに下がりました。その頃の本来の日本のお金の価値は、もっと低かったのです。この頃は世界恐慌もやっとひと段落して、ヨーロッパ諸国も景気が徐々に上向きになりかけていました。

 

そういった時期に金輸出再禁止をおこなったものですから、日本製品はまさに“全品半額セール”状態となり、日本製品は飛ぶように売れて、輸出量がいきなり伸び、日本は空前の好景気を迎えることとなりました。

 

イギリスの産業革命の中心は綿織物で、それを大量に生産することで世界中に売りさばき、莫大な利益を得ていました。しかしこの時、日本の綿織物業は、イギリスより抜きん出て世界一になります。

 

特に重化学工業の発展はめざましく、日本の産業構造自体が大きな変化を見せました。明治以来の財閥のほかに、日産コンツェルンや、日窒コンツェルンなどの新興財閥もうまれて、それが軍部と関係を持ち、満州や朝鮮に進出していきました。

 

スポンサーリンク

 

血盟団事件と五・一五事件

 

犬養内閣は、「満州事変は起こってしまったことなのでいまさら仕方ないが、満州国は不承認」というスタンスでした。この頃になると政党政治の影が薄くなり、軍部や右翼の動きが活発になって、それを抑えきれずに退陣するというケースが頻発しました。

 

政党政治のままでは日本の軍事行動に不安があるということで、軍部や右翼の中には、軍事クーデターによって軍部が政権を握るべきだという人たちも出てきました。そういった時代のなか、三月事件・十月事件が勃発したわけですが、1932年になってもなお、政党政治家や財界の大物を狙ってテロ事件が起きました。井上日召を軸として血盟団が結成され、前首相であった井上準之助や三井合名会社の理事長・団琢磨が殺されたりもしました(血盟団事件)。

 

高橋財政による金輸出再禁止について

 

これはつまり、政党内閣における経済政策に対しての反論と、それに癒着している財閥に対しての反乱が表面化したものでした。そして、満州国の建国に反対した犬養首相も暗殺されてしまいます。殺したのは海軍の青年将校たちでした(五・一五事件)。

 

こうして「憲政の常道」は終わりをむかえ、日本は戦争へと突き進んでいくのです。





このエントリーをはてなブックマークに追加