ワシントン会議とロンドン海軍軍縮会議について

ワシントン会議とロンドン海軍軍縮会議について

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原敬内閣のあとは、高橋是清内閣が登場してきました。その時代に、1921年から翌年にかけて、アメリカのハーディング大統領が提唱したワシントン会議が開かれました。日本全権として、幣原喜重郎、加藤友三郎たちが参加しました。そこで、ワシントン体制という国際協調の体制が決められました。

 

ワシントン会議とロンドン海軍軍縮会議について

 

ワシントン会議では、三つの条約がむすばれました。それぞれ四カ国条約、九カ国条約、ワシントン海軍軍縮条約です。現状を維持し、変えずにいることで、太平洋の島々をめぐる紛争をなくしていこうというものが四カ国条約で、太平洋諸島の平和維持のためのものです。アメリカ、フランス、イギリス、日本の間でむすばれました。これにより、二国間でむすばれていた日英同盟は撤廃されました。

 

中国経営に対する取り決めが九カ国条約で、内容は、中国の主権を尊重することと、門戸開放、機会均等です。そのため、日本が所持していた山東半島の旧ドイツ権益を中国に返すことになりました。

 

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このなかで最も重要だった海軍軍縮条約ですが、こちらはアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五カ国の中で、主力艦保有量のバランスが決められて、この後10年間は新しく主力艦をつくらないという条約です。

 

ちなみに主力艦の割合は、アメリカとイギリスが5で、日本が3、フランスとイタリアは1・67でした。ぱっと見、日本はフランスとイタリアの倍ありますが、フランスとイタリアはヨーロッパ大陸にあるので、もともと海軍はあまり必要ではないのです。一方、アメリカとイギリスに比べると、日本の割合は六です。

 

 

なので、ワシントン体制は、国際平和を名目に、日本の力を抑えようとしたといっても過言ではないかもしれません。日本は九カ国条約がむすばれたことによって山東半島を返還したのですが、日本以外の国は自分が持っていた租借地をまったく返還しません。

 

彼らが持っていた租借地はもとからあったものだけど、日本のは、第一次世界大戦でドイツから奪ったものだから返還が必要だ、ということだったようです。





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