織田信長の天下取りへの作戦

織田信長の天下取りへの作戦

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織田信長が、いきなり「おれは京都で支配者になる」といっても、まわりは支持してくれないのは分かっていたので、信長は、有名ではあるけれどさほど実力がないような、細々と存在していた将軍を利用することにします。

 

織田信長の天下取りへの作戦

 

朝廷や幕府などの大きな後ろ盾がないと、実質的な支配者にはなれません。バックボーンがしっかりしていなければ支持してもらえない、というところは、現在の日本でもそうですね。第十三代・足利義輝が将軍を務めていましたが、1565年、山城の支配者であった松永久秀に暗殺されてしまいます。そしてそのあと、十四代将軍として足利義栄を将軍として立てます。

 

細川春元を三好長慶が下克上し、さらにその三好長慶を倒したのが松永久秀です。彼は歌舞伎でも一番の悪役として出てきます。松永の目的は、自分の思い通りになる人間を将軍にして、自分が実権を握ることでした。今までも何回もおこなわれたやり方ですね。義栄はいわゆる傍流の人で、父親は将軍ではなかったし、十一代の血を引いているといっても、十一代から十三代まで続いた系統からははずれています。

 

これを織田信長は逆に利用することにします。「本当なら将軍になるのは直系の十三代の弟君(義昭)だ。義栄ではない。松永のせいでおかしくなってしまった現状を立て直すために、おれは京都へ行くぞ」という名目を立てることで、周りも納得させ、1568年に京都へ入りました。ここまでが第一期となります。





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