国風文化の特徴と浄土教の流行

国風文化の特徴と浄土教の流行

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この頃中国では、907年にあれだけ栄えていた唐が滅亡し、混乱が続いていました。そのあと建国されたのが宋ですが、中国北部では、926年に渤海が遼(契丹)によって滅びました。この渤海は、奈良時代に日本とも関わりがありました。

 

国風文化の特徴と浄土教の流行

 

また、朝鮮半島では、新羅が935年に滅び、高麗が統一をおこないました。国風文化とは、日本の国内で独自の文化が栄えることです。10世紀前半は、日本の周辺の国々で混乱が続いていて、遣唐使も廃止され、そういった色々な要因があって、国風文化が流行しました。

 

ではまず、仏教に注目してみましょう。それまでの平安初期の仏教は、現世利益の密教が中心だったのですが、平安の中期、藤原道長、頼通が登場する頃になると、仏教の性質が変わってきます。

 

摂関政治とは名ばかりで、この頃の朝廷は徴税することばかり考え、政治らしい政治を全くしていないので、そういった時代だと、生まれた家柄がすべてで、いくら素晴らしいアイディアがあっても出世などできなくなってきます。

 

 

要するに、一人一人がいくら頑張っても、覆せない時代になってしまったということです。大学でも、自分のもっている運命を学んで生かしていこうというような考えをもって、陰陽道を学ぶ人が増えてきます。「この家で生まれたら、この程度の出世しかのぞめない」と、最初から諦めているので、現世利益を求める気持ちも、努力しようという気持ちも起こらなくなります。

 

すると、「せめて死んだ後に幸せになろう」という発想が生まれ、そこから浄土教というものができてきます。





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