満州国建国と日本の国際連盟脱退について

満州国建国と日本の国際連盟脱退について

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関東軍の思い通りに満州事変は進み、1932年に満州国建国となりました。名目上は清朝最後の皇帝・溥儀を執政とした独立国でしたが、実際は、関東軍が支援したことでつくられ、関東軍が支配している政権でした。

 

満州国建国と日本の国際連盟脱退について

 

犬養首相が暗殺されたあと、海軍大将の斉藤実が首相となり、斉藤内閣が成立しました。海軍の中でも穏健派だった斉藤ですが、この内閣が最初におこなったことは、日満議定書への調印でした。つまり、満州国を承認したわけです。

 

しかし、国際連盟がこの満州国に対して異議を唱えます。そして、イギリス人のリットンを団長とした調査団を満州に送り込みました。最初の調査団の見解としては、満州国を関東軍が支配するのはおかしいが、しかし、満州を中国政府が支配するのもまた間違っている、といったものでした。

 

どういうことかというと、満州はあくまでも満州族のものなので、もともと渤海、遼、金という満州族の国があったわけだから、そこを中国民族が支配するのもおかしい、という意味です。要するに、満州国を支配する国家であればいいのですが、明らかに満州国は日本が影で支配している傀儡政権である、と国際連盟が結論づけたわけです。

 

 

そして、国際連盟臨時総会が1933年2月に開催され、そこで日本に満州国承認を撤回するように求める勧告案が、四十二対一という大差で採択されました。反対していたのは日本のみです。

 

この採択を受けたことで、日本代表だった松岡洋右は総会の場から去り、それに次いで、日本政府は国際連盟から正式に脱退することを通告しました。国際社会から孤立することを選択したのです。





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